“足病医学における足部バイオメカニクスに基づいたインソールを手頃な価格でリリースし、多くの人の役に立つ...”
開発者であり創立者のデニス・ブラウンと足病医クリスが抱いたこの理念は、今でも変わらない...
スーパーフィートインソールは、ノースウエスト・ポディアトリック・ラボラトリーが開発した治療向けオーダーメイドインソール(オーソティックス)の技術・構造、設計(実用新案・特許所得)を継承した、医学的背景を持ったプレミアムなインソールである。
ここまでの成功の裏には、スーパーフィートインソールに心底惚れ、少ない収入の中で絶えず商品力を伝えてきた英雄(社員)達がいたからこそ...
さらなる成長をめざし、スーパーフィート社は変革を恐れない。
全てはデニス・ブラウンから始まった
| 1962年 | スーパーフィート社 創立者デニス・ブラウン、足病医ビル・ポーザーと出会う足病医ビルはデニスに、まだ新興市場であったオーダーメイドインソール(オーソティックス)を紹介し、カリフォルニア大学足病医学部への入学を支援する。 | 
| 1962-1964年 | デニス、肢(端)切断者用のスキーブーツ専用オーダーメイドインソール(オーソティックス)の制作を開始 スキーショップで、デニスは肢(端)切断者用のスキーブーツにフィッティング・足の矯正を行うオーダーメイドインソール(オーソティックス)を作成し始めた。そこから得られた経験・知識が彼を成長させていく。 | 
ノースウェスト・ポディアトリック・ラボラトリー
| 1964年 | デニス、ワシントン州・リンデンのノースウェスト・ポディアトリック・ラボラトリーを買収ノースウェスト・ポディアトリック・ラボラトリーはデニスの心を震わすことばかりだった。彼はキャスト成型の技術を学び、そこから得た経験・知識から商品開発、さらには新しいキャスト成型技術を発見した。世界初 Bio Vac In-Shoe System (実用案件取得) 足に体重を掛けずに浮いている状態で「本来の足の状態(ニュートラルポジション)」を見つけ出す手法 スーパーフィートカスタムインソールは全てこのニュートラルポジションを用いて製作する。 | 
| 1965年 | 偉人達の出会い (デニス、クリスに出会う)デニスの度重なるアプローチの末、デニスはクリストとのコンタクトを実現。瞬く間に2人の会話は発展し、スーパーフィートインソール誕生への第一歩が始まった。 | 
| 1974年 | 足病医クリス、デニスのパートナーとしてノースウェスト・40年もの歳月を経て、デニス、クリスの2人足病医はスポーツ医学の現場で、新しい技術(理論)を開発し、革新的な商品を開発・発展させる。 | 
| 1976年 | デニス、Nordica社スキーブーツ製品マネージャー兼デザイナー、スヴェン・クーマーとコンサルタント業務を開始 デニスはスキーブーツエキスパンダーを改良。プロスポーツ選手のブーツの履き心地とパフォーマンス向上に貢献したことで研究所のスポーツ部門が初めて評価を得たきっかけになった。 | 
スーパーフィートとして起業
| 1977年 | “スーパーフィート・イン・シューシステム”として起業ひとつの理念“足病医学におけるバイオメカニクス理論に基づいたファーストクラスの商品を手頃な価格で世にリリースし、多くの人の役に立つこと”この理念は今でも変わらない... | 
| 1978年 | 教育アプローチ70年代後半に足底板(オーソティック)、ましてやインソールなんて知る人もいなかった。だからシンプルに... “販売店スタッフに正しい足の理解~商品理解・知識を習得してもらうこと”が何より大切な活動だった。デニス、クリスそしてスヴェンは”TECHセミナー(後のスーパーフィートユニバーシティ)”を立ち上げていく | 
| 1979年 | “インスタスキーソティック”が大ヒット “どこでも快適なスキーを”新商品”インスタスキーソティック”はブーツのフィッティングを驚異的に改善した。それだけではない。通常6週間制作に掛かっていた期間を40分で成形を可能にした。(これを実現するために開発されたのが、後のスーパーフィート社独自の成形機材”フィットセンター”である) | 
| バウアーホッケー100 デニスはバウアー社ホッケーブーツ製品マネージャーのランディカーレンと共にアイスホッケーブーツのコンサルタント業務を始め、誕生したのがバウアー100。それまでのブーツフィッティングの考え方を一掃する革命的な商品となった。 | |
| 1980年 | 初の既製品“ソフトランナー”リリース足病医学における足部バイオメカニクスに基づき開発された既製品インソール(後のスーパーフィートトリムグリーン)が初めて市場に販売され、大きな成功を収める。 | 
| 1981年 | ランディカーレン、スーパーフィート社に参加 ランディとデニス、そしてクリスは互いを認め合い、バウアーシュープリーム100を誕生させた。 この功績から、デニスとクリスはランディをパートナーとして迎え入れ、彼の知識とスポーツ業界に対する見識を取り入れていった。 | 
| 1982年 | 鋳型職人ジョニーウォーカーがスーパーフィート社に参加。デニスとクリスの結晶を鋳型に残す靴の鋳型職人のジョニーウォーカーはスーパーフィートインソールトリムシリーズのスタビライザー形状を鋳型に納めた。クオリティーに妥協がない彼の仕事が、スーパーフィートトリムシリーズのリリースをより確実なものにしていった。 | 
| 1985年 | スーパーフィートカナダ社設立 カナダの代理店としてバンクーバーとウィスラー内で大活躍を遂げる。 | 
| 1986年 | 医療分野をターゲットに 医療分野事業部が立ち上がり、マーケットに向けたスタッフ、販促物、パッケージが誕生する。 | 
| 1987年 | ルネッテ・ジエグラー、スーパーフィート社のオフィスマネージャーとして参加 ルネッテ・ジエグラーはカスタマーサポートとロジスティック業務を担当し、社内業務を整えた。近年ではそれらの業務から離れ、現在は経理部長である。 | 
| 1988年 | ジェフグレイ、スーパーフィート社に参加スキーヤーとしても活躍していたジェフは若い頃からスーパーフィートインソールへの思い入れが強かった。 少ない予算の中でカナダとアメリカを行き来し、セミナーを開いてはスーパーフィートインソールの商品理解を説いて回った。こんな状況下でも彼が続けられたのは、お客様から頂いたフィードバックがあったからである。 | 
| ランディカーレン、カナダに ランディはスーパーフィートカナダ社の営業部長となり、スキー、スポーツ、医療・健康分野開拓に精を出す。 | 
次なる挑戦へ...新しいリーダー
| 1990年 | スコット・ドナー、スーパーフィート社の最高責任者として参加小さな会社の経営状況を立て直した経験を持つスコットがスーパーフィート社へと足を運ばせる。 | 
| スコッティヘンダーソンとウェインジョンソンがスーパーフィート社に参加スコッティヘンダーソンとウェインジョンソンの2名は、経営状況が不安定な時でも、足病医学における足部バイオメカニクスに基づいたスーパーフィートインソールの商品力を信じ続けて活動した。2人の貢献は大いに評価される。 2人の活動がなければスーパーフィート社が企業として存続していなかったかもしれない。 | 
最大の冒険、既製品Trim-to-Fit 主力事業へ
| 1993年 | 既製品トリムシリーズ、主力事業へ スーパーフィート社史上、一番のターニングポイント Trim-to-Fit事業は多大な費用、失敗の可能性を秘めていたが、アウトドア、スポーツ市場に広く認知されるチャンスでもあった。 | 
| スーパーフィート社、ファーンデール (ワシントン州)へ トリムシリーズの成功、今後の成長を信じ、ノースウェスト・ポディアトリック・ラボラトリーから数マイル南下した位置にスーパーフィート社を移転させる。 | |
| 1994年 | スーパーフィートユニバーシティがスタートワシントン州ファーンデールの新事務所は広かったので、ジェフ自身が培ってきた知識を提供する場を設けた。今では多くの販売店から、彼のセミナーを受講しに来る。 訪問・受講内容は店舗スタッフに常に有効な情報が提供できるよう、日々編纂、改修を行っている。 | 
| 1995年 | フィルオーレン、”アウトドアショー”内でフィットシステム ワークショップを開講 1995年のアウトドアショーでフィルオーレンがスーパーフィートインソールを紹介する。この熱意がアウトドアショップ REI (Recreational Equipment, Inc.)の心を動かし、初の受注を獲得する。 | 
| 初の海外販売代理店は日本 “インパクトトレーディング”横澤隆男(現:(株)インパクトトレーディング会長)とはもっとも関係が長く、深いパートナーであり、海外ではスーパーフィートインソールの一番の理解者であり、インパクトトレーディングとの関係は長く、年々目を見張る成長を遂げている。 | |
| 1996年 | 社名を“スーパーフィート・イン・シューシステム”から”スーパーフィート・ワールドワイド”にデニス、クリス、ランディそしてスコットはもっとスーパーフィートインソールを世(=世界へ)に伝えたいという思いを込め社名を変更する。 | 
| 2001年 | ブーツ・スニーカー(スポーツシューズ)だけじゃない 革靴にも快適な履き心地を。スキー、アウトドアやスポーツ業界を超えて、スーパーフィート社は革靴専用のハーフ形状のタイプとハイヒールタイプをリリース。 | 
| 2005年 | 新社長ビル・マクリーン ランディのバウアー時代からの旧友である。サッカー・ラクロスの総合メーカー”ブライン”を退社の後、スーパーフィート社へ。社内の営業体制を発展させた。 | 
スーパーフィートの社員として...
| 2006年 | 社員による株式所有 “後世まで商品、知識、文化を繁栄させていきたい”そのためには...「スーパーフィート社という会社を社員自身が保有すること」 この考え方から自社株の50%を社員が所有することで企業価値を社員自らが高めていくという自覚を持ち、インソールのリーダーシップをとっていくために日々精進してくという取り組みを始める。 | 
| 2008年 | 「アウトサイド」にて“アメリカで一番働きたい企業”にランクイン | 
| 2010年 | 「アウトサイド」にて“アメリカで一番働きたい企業”にランクイン | 
| 2011年 | 事業拡大による事務所移転 | 
| スーパーフィートインソールの機能がそのまま入った特許取得サンダル“FLP”リリース | 
スーパーフィートの今...
| 2012年 | スーパーフィートUK (イギリス)社、スコットランド、エディンバラに設立 スーパーフィートUK (イギリス)社、スコットランド、エディンバラに設立。大陸を超えた初の関連会社 | 
| 2013年 | 新社長 ジョン・ルーヴォラジョン・ルーヴォラが新社長になる | 
| パッケージ刷新2年余を費やして準備を整え、新しいデザイン(展示ブースやロゴマーク、ウェブサイト等全て刷新)を引き提げて、新しい世代へ | |
| 新商品“カーボン”リリース炭素繊維(カーボン)配合の硬質超軽量スタビライザーを採用した革新的なプレミアムインソール。 | 
